先日NHKプロフェッショナル 仕事の流儀 ジブリと宮崎駿の2399日 を視聴した。「君たちはどう生きるか」を作り上げるまでの創作の裏側で繰り広げられた物語だ。監督の大ファンなら既にご承知の内容なのだろうが、ジブリ作品は好きで全作見ていても監督自身について深く掘り下げて調べた事など無い身には、それぞれの作品に監督自身の体験が投影されていることは新鮮な驚きだった。全作品の部分・部分が、監督の自叙伝のようなものなのかも知れないんだな、と思った。監督の狂気と孤独と愛憎が入り組んだドキュメンタリー番組。それにしても・・・高畑勲監督への思慕が半端なくて驚いた。宮崎監督は故・高畑監督を「パクさん」と呼び、若い頃は憧れ、同じ作品を制作し、青春を彼の期待に応える事に捧げる。しかし、その後、パクさんには近藤喜文さんというお気に入りが表れて自分の今までの地位が揺らぐ。「風の谷のナウシカ」でパクさんをプロデューサーに指名して、復讐(プロデュサーは逃げられないし、自分の思い通りに凝りに凝るということができない)しようとする。
高畑監督の葬儀では、弔文を読みながら大粒の涙を零し、製作中の映画の中に高畑監督の分身とも言える存在を登場させ、ストーリーや絵コンテに行き詰まると「パクさん、返事してくれよ」と高畑監督と話し出す。どれほどの憧れ・愛憎があるのだろうか。恋人や長年連れ添った夫婦のように、常に頭の中にはパクさんが居る。亡くなったことは理解し受け止めているが、常にそこに在り続けていて会話の対象となっている(葬儀後の半年以上は何も手に付かない状態ではあったが)。
ジブリの鈴木プロデュサーは、「宮さんにとっては、アニメの世界が現実でこっちの世界が虚構なのよ」と言う。アニメの世界に魅せられ憑りつかれ、引退を撤回しても作り続ける。高畑監督により呪いを掛けられてしまった宮崎監督は、「終わらせないとタタリから抜け出せない」と番組冒頭で話す。
煮詰まった時の宮崎監督は、「めんどくさい」を連発し貧乏ゆすりをしたり書いたり消したり歩いたりと忙しない。産みの苦しみなのか凡人には知る由もないが、頭の中は高速回転でアイディアが浮かんでは消えを繰り返してるのか。これほど苦しんでも作る事を止められないのは、クリエイターの性なのか・生きることなのか。
とにかく私には、高畑監督との会話を欲し認められたい願望を度々覗かせる宮崎監督の情の怖さみたいなものが印象に残った番組だった。憧れ続け戦友として闘い、死後も会話を続けるこの関係。一つの仕事を極みまで突き詰めた者にしか分からないのか、単純にパクさんが好きだったのか、アニメの世界に引き摺り込まれたが故に彼からの卒業を切望することなのか・・・。いずれにしても、ここまで一人の人間に惚れ込む(関わり続ける)こと自体が羨ましいと思った。【ベティ】
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