今朝の出勤時に、前を走る車のナンバープレートを見て「ん?」となった。〇〇ー〇〇と表記されることが多いナンバープレートだが、中央のーが無い。隣の車線を走る車も対向車線の車も、みんな中央にーはある。「むむむ」何故だろう?
出勤して直ぐにスマホで検索してみたら、3桁の番号には中央のーが無いのだそうだ。「えっ!」
私の車も3桁だ。えーーーっ、早速確認してみたら、確かに無い。1年半近く乗っているのに初めて知った。毎日見てるのに、疑問に思わなかった。見てるようで本当に見てない、と改めて驚いた。1962年以前の車は中央にーが無く4桁の数字が並んでるだけ、それ以降の車はーがあると書いてある。自分の注意力の無さというか、疑問を持たずにのんべんだらりと暮らしていることに「私って・・・」とため息が出る思い。因みに、2桁や3桁の場合は数字があるべき場所に・が表記されてる。
最近読んだネット記事に「枯れるように最後を迎えるスウェーデン人 水分・栄養補給で溺れる日本人 穏やかに亡くなるために必要な医療とは?」との見出しがあり、読んでみた。要約すると、スウェーデンのほとんどの高齢者は延命されずに緩和ケアを受けて亡くなり、日本では終末期でも点滴や経管栄養をして苦痛を引き起こしているという内容だった。点滴や経管栄養を与えると、体に余分な水分を入れるので痰が多くなったり肺に水がたまったりするらしい。延命措置を望んだことは元々無く子供たちにも伝えていたが、老衰のような自然な枯れ方で亡くなりたいので点滴もしないことを伝えておかねばと思った。痰の吸引とは、とても苦しそうだ(その間は呼吸できないから当たり前だ)。痰は吸引するものだと思い込んでいたが、そもそも水分を余計に入れない選択肢もあることを知ったのは目から鱗だ。
最近読んだ本に「晴眼者」という言葉があった。物語の流れから、健常者(言い方が正しいのか?)というか眼が見える人の事を指すというのは直ぐ理解したが、この言葉自体を初めて知ったので調べてみた。視覚障害者の対義語としてあるとのこと。一般にはほとんど使われないが、盲学校の入学制限に関する条項や点字図書館の録音図書利用などの「晴眼者の利用禁止」といった表示で見かける、とある。
世の中は、知らないことに溢れている。楽しい発見だった。【ベティ】
コメント