通夜式に参列して

友人のお母さんが亡くなり、通夜式に参列してきた。お母さんは91歳でお亡くなりになった。一般的には「大往生」の認識だろうと思うが、幾つになっても親の死は辛く悲しく無念なものである。

3人の子を育て6人の孫に恵まれ9人の曾孫にも会えて、晩年は幸せだったことと思う。私の友人は、3人兄弟の長女にあたる。2つ下の弟と、そのまた2つ下の妹とは仲が良く、それぞれの夫や妻を伴ってお母さんと家族旅行にも行っていた。お母さん自身も8人兄弟で、うち4人が姉妹。その姉妹たちとも旅行に出掛けていた写真も拝見した。お父さんが早く亡くなっていたことは友人から聞いて知っていたが、それほど気にも掛けていなかった。お母さんがそれなりに苦労はされたであろうことは想像したが、「大変だったろうね」と言葉で労いつつ、友人と会えば自分たちの話題に終始した。

今回、式の最後の弔辞を聞いて「えっ!」と驚き、その後はそのことが頭の中を占めてしまった。お母さんは、不慮の事故でご主人を失ったとき30歳だったそうだ。私の友人が5歳・弟さんが3歳・妹さんが1歳、友人の歳を考えると結婚生活はわずか6年。それから61年間も一人で生きてきた計算になる。気が遠くなる。当時は、小さい子を3人も抱え、どんな思いで毎日生きていたのだろう。幸い、3人とも素敵で親思いの子に育ったので、子供の成人後は幸せだったと推察するが、それにしても・・・。戦争時代の話で、出征3日前に結婚しそのまま帰らぬ人となり、ずっと一人を貫いた方の話を見聞きしていたのに、友人のお母さんの境遇を知ってぐっと身に詰まされる事実として胸に迫ったのだ。

61年振りに会うご主人は、当時のまま30代なのだろうか。「苦労掛けたな。子供たちをよく立派に育ててくれた」と感謝して再会を果たしているのだろうか。お母さんは、自分だけ歳を取ってしまったことに、恥ずかしさを感じているだろうか。そんな事は全て吹っ飛び、抱き合って泣いて再会を嚙み締めているのだろうか。そんな事が頭の中でグルグルしてしまった。

友人は娘さんに「何で好きな物を選ばないの!?」と叱られると、先日話していた。「選びなさいよ!娘の気持ちを考えたら、選ぶべきです」と、私も叱ってしまったのだが。例えば、誕生日等で友人の娘さんが母親へケーキを買ってお祝いに実家に来る。「最初はお母さんが一番好きな物を取って」とお願いされるのだが、自分は選べない。どうしても一番好きな物を選べないし、好き嫌いが無いから残った物何でも食べられるんだもん、と彼女は言う。「そう言うことじゃないのよ」と強めに言ってしまったのだが、彼女の幼少期の境遇を思えば、自分は後回しで弟・妹にいつも好きな物を選ばせて、残った物を自分の物としていたんだろうな、と。身体に沁みついてしまった習性なんだろうな、と。

怒ってしまい悪かったと反省し、改めて、お母さんのご冥福を心からお祈りした。

「おばちゃん、長い間お疲れ様でした」                    【ベティ】

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