昼休み時間に

お昼ご飯を食べながら(お行儀悪いのは百も承知)、本を読んでいた(最近読んでとても良かった作家さんのエッセイを見つけたので、軽く読むには最適の本)。その中で、作家さんが子供の頃の思い出を綴った文章があり、読書と自転車とぶらんこが好きだったことが書かれていた。さて、私は子供の頃何が好きだっただろうと思いを巡らしていたら、ふいに「かくれんぼ」を思い出した。それが一番好きで何物にも代えがたい思い出かと問われればそうでもないのだが、唐突に思い出したのだ。私は子供の頃長屋に住んでいて、近所の学年問わず男女を問わず一緒に遊ぶ仲間が居た。今のように遊びの道具も種類も少ない時代だから、かくれんぼは単純で全員が同じく遊べる為に選びやすかったのだろう。「〇〇ちゃん、めっけ」と言って缶を踏み、鬼を交代しては暗くなるまで遊んだ。長屋の死角になる場所に隠れたり、すぐそばにある茂みの中に隠れたり、常に移動しながら周囲を逃げ廻ったり、本当に面白かった。いま思えば、何が楽しかったのか分からないが、とにかく当時は面白くて仕方なかった。小学一年生から六年生まで男女一緒になって笑い転げて隠れていた記憶が残っている。あまりに暗くなると、誰かのお父さんかお母さんが家から出てきて「ご飯だぞ、いつまで遊んでんだ」と怒鳴られ、その日のかくれんぼはお開きになる。近所の自宅に三々五々帰宅し、即、夕ご飯という流れだ。学年も男女も関係なくひとかたまりで遊んでいたから楽しかったんだと思う。小さかった私は早々に見つかり次の鬼候補となるのだが、大きいお兄ちゃんが缶を蹴ってくれて、また隠れることができるのも嬉しかった。懐かしいな!子供だったから、楽しかったんだと思う。あの頃の仲間はいま何処に居るのかも知らないし、彼・彼女たちの親御さんは半数以上が鬼籍に入っているはずだ。それから、空き缶に紐を通して缶下駄を作ってかけっこもした。大繩飛びもしたなぁ。とにかく、暗くなるまで外で遊んでいた。仲間が居ないときは、家でぬり絵もよくしていた。今またぬり絵が流行っているらしいが、ボケ防止なんだそうだ。

会社帰りの自宅付近で、子供が外で遊んでいるのをトンと見かけない。自宅でオンラインゲームやYouTubeを見たりしてるか、スポーツの習い事をしているのだろう。共働きが当たり前の現代では、その方が安心なんだろうし、当の子どもたちもその方が良いのだろう。私が子供の頃は、大抵のお宅でお母さんが家に居たから、誰かの家を訪ねて遊んだりもした。とにかくアナログな時代だった。

先日の旅行で駅前ロッカーに荷物を預けようとしたら、決済方法がpaypayかクレジットカードかスイカだった。現金を使えないのだ。これにも驚いた。アナログ人間がアナログのまま死んでいけるのだろうか。その前に、時流の方法を身に着け覚えなくてはいけなくなるのだろうか。

自分と仲間が居さえすれば遊べた、あの頃。言葉で注文し現金決済できた、あの頃。

いまタブレット注文は何とか出来るが、スマホ決済は未だ出来ないでいる自分。年を取ったから昔が懐かしいだけなのか。同じように現代の子ども達も将来、今の世をアナログだったと懐かしむのだろうか。

他人の思い出話から、そんな事をつらつら考えた昼休み時間だった。【ベティ】

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