モンテンルパ

昨夜、演劇鑑賞会に行ってきた。都会の人は、見たいお芝居があればチケットを購入して直ぐに行けるのだろうが、地方に住んでいる者は交通費プラス時間帯によっては宿泊も必要となり経費が嵩む。なかなかハードルが高くて気軽にお芝居を鑑賞できない。そこで演劇鑑賞会に属し、毎月2,500円を納めて隔月に1回鑑賞する。その会が昨夜だったのだ。トム・プロジェクトの「モンテンルパ」を観劇した。大変恥ずかしながら、このモンテンルパで起こった歴史的事実を知らずに観劇し、内容から、こんな出来事があった事を初めて知った。第二次世界大戦終了後も8年間にわたりフィリピンのモンテンルパにある刑務所に108名もの日本人が戦犯として収容されていたこと。その刑務所内で収容者と共に生活をした教誨師・加賀尾秀忍が、8年間あらゆる機関に恩赦を求め手紙を書き続けたこと。歌手・渡辺はま子が、収容者が作った「モンテンルパの夜は更けて」を歌い日本で大ヒットさせ、解放に向けての機運が盛り上がったこと。その後、フィリピン入りした渡辺はま子が戦犯者たちの前で歌ったこと。収容されている半数近い人は冤罪の可能性が高かったのだが、捕らえられる前に日本軍は現地の罪もない現地の民間人を大量虐殺していたこと。(冤罪が多かった理由として、肉親を殺された人たちからしたら個別に特定しなくても<日本人>に対する憎悪が勝り、日本人なら誰でもよかったのだろうと推察できる)恩赦で釈放される前年には、14人の死刑執行が行われたこと。知っていたのは、そんな題名の歌が戦後にあったことだけだった。

教誨師・加賀尾がフィリピンの国会議員の紹介でフィリピン大統領に面会できるようになる。日本での大ヒットにちなみレコード会社が特別に製作した螺鈿の表紙の本型オルゴールをはま子から送られた加賀尾は、大統領へのお土産として持参し面会。その際、釈放してほしい・分かって欲しい等の文言は一切口にせず一粒の涙も零さず質問に答え、帰り際にオルゴールを手渡す。その行為に大統領が感銘を受け、全員残らず恩赦で釈放することを発表するのだ。3人の我が子と妻を日本軍に殺され、他の我が子を守るため亡骸を置き去りにするしかなかった過去があるにも関わらずにだ。教誨師の献身的な振る舞いとローマ法王に向けての嘆願書が届き大統領に法王から手紙が返信されたことも大きいが、一つの歌が108人の命を救ったことになる。

いまゲルニカに関する小説を読んでいる。もちろんフィクションなのだが、その中にも「芸術は世界を救える」的な文言が度々出てくる。「ゲルニカ」はゲルニカ空爆だけを批判しているのではない。個人の欲望や国益やイデオロギーや宗教的対立、その愚かしさこそを批判しているのだ。無慈悲で無差別な殺戮は、ゲルニカのみならず、世界のどこでも起こり得ることであり、明日にも来年にも、もっとずっと未来にも起こり得る悲劇だ。「もう、やめろ」とピカソは叫んでいる。という記述もある。1937年に製作された「ゲルニカ」は、87年後の現代社会を予測していたことになるわけだ。一つの歌が、一つの絵画が、一つのお芝居が、世界の人の胸を打ち愚かしい戦いは即刻止めろ!となる日はくるだろうか。いまだに続く戦争は、世界各地にある。他人より数段高いお金や地位を望まなければ、ささやかな毎日の暮らしに満足していれば、全人類の幸せを願って紛争を止められるのではないか。贅沢な暮らしをしたいがために、お金を稼いで他人を傷つけて殺して何になろう。宗教上の対立だとて、相手の信じるものを尊重し理解し、共存できる道はあると思う。人は、生まれた時と同じく何も持たずに天に召されることが決まっているのだから。【ベティ】

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